当院は2001年の開設以来20年あまりにわたって訪問歯科診療を行っております 寝たきりやお体のご不自由な方 施設や病院内で歯科医院への通院の困難な方に直接お伺いして歯の治療 口腔ケア 摂食嚥下リハビリテーションをさせて頂いております
2008年に在宅療養支援歯科診療所として届け出を行い 2018年に在宅療養支援歯科診療所1の届け出を致しました
義歯の作製調整から虫歯治療 抜歯処置 マウスピース作製調整まで対応出来るよう 器材を整備してお伺いいたします
転倒による顔面の外傷や顎関節の脱臼(顎が外れた)などの緊急対応も受け付けております
また歯を治すにとどまらず 口から食べることまでを一貫して対応出来るよう技術技能の向上に努めています
口腔ケアはなぜ必要か
ご自分で歯磨きやうがいができない場合は 歯科医師 歯科衛生士が専門的な口腔ケアを提供し 口から食べるための環境 良好な口腔衛生を維持管理します
口腔ケアをすることで口の中を清潔に保ち 口の中の細菌が原因で発生する 誤嚥性肺炎や消化管の病気を予防し 快適な生活を送るための基礎作りに役立ちます
口腔ケア 摂食嚥下リハビリテーション セミナー
施設や病院 老人クラブ 公民館などで口腔ケア 在宅介護 訪問診療 摂食機能障害のリハビリテーション 経口維持管理 口腔衛生管理についての 出張セミナーを実施しております ご希望があれば どこへでも出向いて参ります お気軽にご相談下さい
施設や病院の職員へも口腔ケアについての勉強会を開催しております お気軽にご相談下さい
経口維持加算 口腔衛生管理体制加算 口腔衛生管理加算について当院では協力体制への対応を行っております 専門的訓練を受けた歯科医師 歯科衛生士がお伺いし 適確なお手伝いをさせて頂きます
社会福祉法人清松福祉会
総合老人福祉施設夢心
大阪府枚方市長尾北町
医療法人中屋覚志会津田病院
枚方市津田北町
医療法人中屋覚志会
グループホームくにみ坂
枚方市津田南町
グループホームきさべ
大阪府交野市私部南
社会福祉法人美郷会
小規模多機能ホームみらい
大阪府交野市幾野
社会福祉法人大阪府母子寡婦福祉連合会
枚方市立特別養護老人ホーム
サンポエムひらかた
枚方市交北
社会福祉法人大阪府母子寡婦福祉連合会
特別養護老人ホーム 悠々の苑
大阪府枚方市交北
社会福祉法人大阪府母子寡婦福祉連合会
軽費老人ホーム 悠々の苑
大阪府枚方市交北
高島市民病院 正面
20年前の今日 私は琵琶湖湖畔の小さな病院に赴任しました 卒業して3年目 研修を終えたとはいえ まだ経験浅い身でした
それゆえ かなり緊張した面持ちだったと思います どういう顔をしていたか自分で覚えていませんが出勤して朝一番に病院長のもとへ着任の挨拶をすべく部屋を訪ねました
病院定礎石碑
「失礼いたします 本日からこちらでお世話になります 歯科の高濱と申します 宜しくお願いいたします」と一礼すると 病院長は私を一瞥して 開口一番
「ああ 先生 歯科は今年いっぱいで閉鎖することにしたので そのつもりで」
と素っ気なく云われ 続けて
「飯塚先生(注 当時私の所属していた医局教授)にも そのことは断りを入れておいたのだがね なんしろ歯科は赤字続きで管理者(高島郡の町村議会幹部)のほうからも どうにかならんか云われておったのだよ」
その後は何を言われたのか覚えていません ただ最後に
「まあ今年一年様子をみてから最終的に判断しますので」
と結んで終わり 私は院長室を後にしました
いきなり 君は今年いっぱいでクビになるから と言われたも同然でした
当時 大学医局の関連病院は東は静岡から西は愛媛宇和島まで広がっていましたが 病院歯科はどこも不採算部門として閉鎖を余儀なくされるところがちらほら出て参りました その趨勢に立たされてしまったのです
公立病院とはいえ税金を使って運営されているわけですから 赤字続きは確かに良くないことです そこでどうしたら存続できるかを一生懸命考えました 病院にとって歯科は必要であるという役割の重要性をどう打ち出すか腐心しました
幸いこの地域で病院の歯科としての機能を果たせるところは 他にありませんでした もしここが閉鎖になれば地域の方は50キロ南の大津市まで行かなくてはなりません また歯科の外来に受診される方も 多くが地域の人々ばかり 中には地域の歯科医院からの紹介されてみえる方もおられました そこで出来るだけ歯科医院の先生方には紹介をして頂くよう働きかけを行い そして一般の歯科治療の患者さんは出来るだけ地域の先生方に診て頂くように考えました
正面玄関表示
着任早々 この地域の小学校中学校保育所の歯科検診を受け持ちました 当時はまだ歯科医院がほとんど無かったこともあり 色んな経験を積むことが出来ました 田舎の素朴な邪気がない子供たちに圧倒されました 町役場の乳幼児健診にも出ました 私のような若造に子供の歯の相談をする不安そうなお母さんたちにやはり圧倒されました 毎日小児歯科の教科書をむさぼり読みました
各診療科医師 20年の前の同僚の先生が各科の部長になられています
往診の依頼も結構多かったように思います この当時から人口の高齢化が進んでいたこともあって 訪問看護師の師長さんから直々に往診の依頼を受けることがありました 病院の公用車に運転手付きで往診に出かけました 雪の積もった日も猿が横切る里山の道を走ったこともあります
お昼過ぎに往診で訪問した際 完成したばかりの総義歯をほとんど調整いらないくらい ピッタリおさまったことがありました 患者さんはたいそう喜んで 私たちが帰るとそれまで食べられなかった握り寿司を家族と一緒に食べて 夕方には自宅で家族に見守られながら静かに息を引き取られました ご家族は最後の最後にみんなで楽しく食事が出来たことを何よりたいそう喜んで下さり 訪問診療に感謝頂きました その話を後日訪問看護部の師長から報告を受けて 私は歯科医師として訪問診療は一生続けていこうと思ったのです
その頃 高齢者の口腔ケアがまだ一部でしか取り上げられなかった頃 私は病院の歯科の果たす役割はこれだ!と思い 総婦長や病院とかけあって看護師さんの勉強会や研修に出向いて 口腔ケアの重要性を説いて回りました 在職中に病棟の看護師のマニュアルに口腔ケアの項目が追加されました 高島では20年前から病棟の患者さんに口腔ケアが行われています
産婦人科の先生にもかけあって 毎月行われる産婦人科の母親学級で一時間ほど母子の口腔保健のお話をさせて頂きました お腹の大きなうちに関心を深く持っているお子さんの歯の健康のために 何が大切か資料をたくさん作りました 食育の重要性のこともお話に入れていました 今から思えば若いのにずいぶん頑張っていたんだなあと感心します
ちょうど医療法の改正があって歯科口腔外科の標榜が認められるようになり すぐに病院の事務方ともかけあって 歯科から歯科口腔外科に標榜科を変更して頂きました
玄関受付前
当時はまだ多かった歯性感染症の患者さんも外来通院で抗生剤を点滴することをせず 入院して頂き病棟で管理することにしました それが本来望ましい形だからです 口腔外科の手術をするとき 私が手を下せない症例は大学の指導医の先生においで頂いて オペ室もどんどん活用しました 大学口腔外科の医局の先生方の後押しもあり 月1回あるかないかほどオペ室に入ることがなかった最初の年が 明くる年には毎週必ずオペ室に入るようになりました 外科系の診療科では整形外科 脳神経外科 眼科 耳鼻咽喉科に次いでオペ室を使うようになりました オペ室に口腔外科の外科セットを常備して頂けるようになりました その後 病棟稼働率も医科の外科や耳鼻咽喉科と並び 外科のドクターから冗談でクレームが入るほどまでに伸びました
歯科口腔外科外来
そうして一年が経ち 病院長から呼び出しがかかりました あーいよいよ来たんだなあ ついにこの日がと これでもう終わりかと暗澹たる気持ちになりました そうして重い足取りで階段をあがり 院長室へと向かいました
元よりあまりニコニコとされない表情の院長は ドアを開けると やはりいつも以上にニコリともせず
「あ 先生 歯科は存続されることになりましたので ところで私の歯の治療もお願いしていいですか?」
いきなり拍子抜けしました
健診センター 旧公立高島総合病院時代の外来棟
あれから 幾年月が過ぎ 今や歯科口腔外科は歯科医師2名 ますます地域にとって重要な病院歯科口腔外科となりました 今もしんどかったあの頃のことが時々懐かしく思い出されます
卒業して間もない頃に あれだけの仕事が出来たことは 大学の医局の諸先輩方 当時の病院長 事務方の多くの方々 総婦長 看護師 そして病院の各科の同僚医師の先生方の温かい指導の賜物です あの頃の周りの理解と支援がなければ 到底あれだけの条件をくつがえして 診療科の存続はなしえなかったと思います
毎日朝夕と不安を引き受けてくれた分部神社 大溝藩の藩主分部氏が祀られています 病院の敷地は元は大溝城の跡地で分部氏が治める大溝藩の城下町でした 分部の殿様にもずいぶん助けられたと思います
分部神社 毎日朝夕と拝んでいました
今の診療所を開院して 今年で24年になりますが あの頃の苦難を思えば 今のしんどいことも 比べものにならないと思います 初心に立ち返って また精進したいと思います